2012-03-16 (Fri) [長年日記]

_ Defining Property の日本語訳

http://www.paulgraham.com/property.html を訳してみました。この意見にまったく賛成というわけではありませんが、日本人として面白く感じました。大岡裁きというか、落語のアレですよね。後半が面白くないので、ちょっと訳も適当かもしれません。

[追記] おもしろい動きがあるみたいだけど日本ではダメですな。ちなみに student は「書生」なのかな。でも死語だろうか、と思って「学生」にしました。あれ? Wikipediaを見ると、うなぎ屋さんじゃないのかな? しまったー。[追記おわり]

もちものとは

2012 年 3 月

こどものころ、大岡越前という日本の有名な裁判官の話を読んだ。その大岡裁きのなかに、うなぎ屋の主人が持ちこんだ案件があった。貧乏で米しか買えない学生が、その店のおいしい匂いでごはんを食べていたというのだ。主人は匂いの代金を支払ってもらいたかった。その学生は「うちの匂い」を盗んでいたのだから!

音楽や映画を盗んだと言ってレコード協会や映画協会が人々を訴えるのを耳にすると、私の頭にはこの話が浮かんでくる。

匂いに所有権を主張するのは、ばかばかしいことに思える。だが匂いに料金をつけるような場面を想像することは可能だ。たとえば月面基地に住んでいて空気をリットル買いしなければいけないとか。そうなれば、追加料金で匂いを足す空気屋も想像できるだろう。

匂いをもちもの扱いするのがおかしいと感じる理由は、そう扱おうとしてもうまくいかないことにある。月面基地でならうまくいくだろうが、地上では無理だ。

何がもちものとして認められるかは、何をもちものとしてうまく取り扱えるかにかかっている。だからそれは変化することがあるし、じっさい変化してきた。文字どおり「持って」運べる小物なら、いつの時代の人類も (「時代」と「人類」の定義によるが) それをもちものとして扱ってきただろう。しかし、たとえば狩猟採集時代の人類が、現代人のように土地をもちものとして扱うことはなかった。[1]

これほど多くの人が「もちもの」に唯一不変の定義しかないと思いこんでいるのは、その定義の変化がとてもゆっくりだからだ。[2] しかし私たちは今まさにそうした変化のただなかにいる。かつてレコード会社や映画スタジオは、月面基地でホースを通して空気を配るようにして作品を配布していたものだ。しかしネットワークの到来で、私たちはまるで大気圏のある惑星に移住したかのようになっている。もうデータは匂いのように広がる時代なのだ。そして業界は、楽観的な考えと短期的な利益追求の両面から、うなぎ屋の主人の立場を選んだ。「うちの匂い」を盗んだかどで私たちを訴えることにしたのだ。

(短期的な利益と書いた理由は、業界に通底する問題として、経営者が株価よりも配当で動くことにある。株価のためなら、技術の進歩に対抗するのではなく、その活用方法を探すだろう。しかし新しいものをつくるのには時間がかかりすぎる。配当金は当年の収益で決まるのだから、増やすには今あるものから今より多くのお金を取り出すのが一番だ。)

つまりどういうことか。コンテンツに料金をつけてはいけないのだろうか。単なるイエスかノーの答えはない。コンテンツに料金をつけてうまくいくときは、コンテンツに料金をつけても良いはずだ。

ただ、「うまく」という言葉には「ごまかして逃げきれる」という以上の複雑な意味合いも含まれる。私が言いたいのは、社会をゆがめて無理に料金を取るのでなければ、ということだ。結局のところ、議会に手を回して地球でもホースから空気を吸うよう義務づける法律をつくらせられれば、月で匂いを売っていた会社が地球でも売ることはできるのだから。

音楽・映画業界がいま起こしているメチャクチャな法的手段からは、これに似た匂いがプンプンする。新聞・雑誌業界も同様にいかれているが、こちらはいちおう徐々に取り下げつつある。レコード協会と映画協会のほうは、可能となればホースで息を吸わせるだろう。

最終的には常識の問題になる。みせしめとして任意に選んだ人々への大量訴訟をしようと法律を悪用したり、通ればインターネットが使えなくなるような法案を議会に働きかけたりしているなら、それ自体、うまくいかない方法で「もちもの」を定義している証拠になる。

うまくいっている民主主義の存在や、君主国家が複数存在することが、ここで役に立つ。世界にたったひとつの独裁政府しかなかったら、音楽・映画業界は金の力で法律を買い、自分の好きに「もちもの」を定義できてしまうだろう。幸い、まだ米国の「著作権植民地」となっていない国があるし、米国でもそれなりの数の政治家がまだ有権者の票を恐れているようだ。[3]

国を動かしている人たちにしてみれば、有権者やよその国が自分の言うとおりに折れてくれないのは気にくわないかもしれない。だが自分の思いどおりに法律をゆがめようとする人たちに攻撃のスキを与えるかどうかは、最終的には私たち全員の意識にかかっているのだ。個人のもちものという考えは非常に有用なものだ - おそらく人類最大の発明のひとつであろう。これまではその定義が新しくなるたびに富の増加がもたらされてきた。[4] 最新の定義でもそうなる、と推測するのはおかしなことではないだろう。それなのに、ごく少数の権力者がアップグレードをしぶったというだけで、みんなが時代遅れのバージョンを使い続けなければいけないなんてことになれば大損害だ。

[1] 狩猟採集時代についてもっと知りたいなら、Elizabeth Marshall Thomas の The Harmless People と The Old Way を強く勧める。

[2] しかし、もちものの定義はおもに技術の進歩により変化してきたので、また技術の進歩は加速しているので、おそらくその定義の変化速度も上がるだろう。これは社会がその変化に合わせていくことがますます重要になっていることを意味する。変化の割合は今までにないレベルに達するのだから。

[3] 私の知る限り、「著作権植民地」(copyright colony) という言葉を初めて使ったのは Myles Peterson だ。

[4] 「もちもの」の定義と技術レベルは互いに束縛しあうので、技術レベルが単に「もちもの」定義の関数だというわけではない。とは言っても、「もちもの」の定義をいじっておきながら技術レベルに影響 (おそらく悪影響) を与えずにはいられないだろう。ソ連の歴史はその生き生きとした実例を提供している。

この下書きを読んでくれた Sam Altman と Geoff Ralston に謝意を表する。

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_ tamo (2012-03-16 (Fri) 17:28)

http://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/security/gizo0410a.htm/ に紙幣偽造の法律があるけど、画像データに関してはよくわからないなぁ……。日本製スキャナなら、読む時点でエラーになりそうな気もするけど。


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