2008-03-29 (Sat) [長年日記]

_ How to Disagree by Paul Graham の翻訳 (1)

途中まで。20080331 いちおう最後まで翻訳した。推敲はマダ。

Original: http://www.paulgraham.com/disagree.html

異議あり

2008 年 3 月

ウェブは文章を会話に変えつつある。20 年前、モノ書きは文章を書き、読者は読んだ。 今や読者はウェブのおかげで文章に反応することができ、実際にどんどん反応している。 ……コメントの応酬や、掲示板、あるいは個人のブログで。

反応の多くは反論だ。まあそうだろう。 わざわざ同意を表明しようとする動機は、反論する動機より弱いものだ。 それに、賛成するとき、言葉はあまり必要ない。主張の一部を取り上げてさらに敷衍することも できるだろうが、いちばん面白い結論はおそらく筆者が既に検討してしまっている。 一方、反論するときには、筆者の検討しなかったであろう領域に入ってゆくのである。

結果は、反論の大量生産だ。これは言葉の量が増えているということであり、 みんなの怒りが増えているという意味ではない。 コミュニケーションの仕組みに生じた変化のせいなのだ。 ただ、怒りが反論を増加させたわけではないものの、反論の増加が みんなを怒らせる危険はある。特にネット上では、面と向かっては絶対に 言わないことまで言いがちなので、その危険が大きい。

これから我々すべてがもっと反論していくことになるのであれば、 うまく反論するよう心掛けるべきだ。しかし、うまい反論とは何だろう。 ほとんどの読者は単なる罵倒と筋道立った論駁を見分けることができるが、 ここでその中間にある段階にも名前をつけることが役に立つものと私は考える。 そこで、以下に反論ヒエラルキー (DH) の試案を示す。

DH0. 罵倒

これは最低の反論形態であり、おそらく最もよくあるものだ。たとえば

この低能が!!!

とかいうコメントはみんな見たことがあるだろう。 しかしもっと明晰な罵倒も同様に意味がない、ということを認識しておくのは大切だ。

筆者はうぬぼれた好事家である。

というようなコメントは、「この低能が」のもったいぶった言い方に過ぎないのだ。

DH1. 人身攻撃

人身攻撃は単なる罵倒ほど弱くはない。いくらか意味を持ちうるものだ。 たとえばある議員が「議員給与を引き上げるべきだ」という記事を書いたと すると、だれかが

そりゃそう言うさ。議員なんだから。

と反応するかもしれない。これは筆者の主張を反駁したことにはならないが、 この件について少なくとも意味はある。ただし、まだ非常に弱い反論だ。 もしその議員の主張に間違いがあるのならそれを言うべきだし、 ないのなら、議員だから何だというのか。

筆者にはその件について書く資格がない、と言うのは人身攻撃の変種である。 しかも、良いアイディアはしばしば外部からもたらされるのであるから、特に無益な変種と言える。 問題はその筆者が正しいか否かなのだ。 それで、もし資格がないせいで間違っているのであれば、その間違いを指摘せよ。 間違っていないのであれば、資格は関係ない。

_ 翻訳(2) - 20080330追記

DH2. 論調批判

このひとつ上がったレベルからは、筆者ではなく、文章に対する反応が出てくる。 そうした反応のうち最低のものは、論調に異議を唱えるという形態だ。例:

この人がこれほど尊大な調子で ID (知的設計) 説を退けるなんて信じられません。

筆者を攻撃するよりマシとはいえ、これもまだ弱い反論形態だ。 間違いか正しいかということのほうが、論調よりもずっと重要なのだ。 論調を判定するのがとても難しいことを考えると特にそう言える。 ある話題に不満を抱いている読者は、他の人が中立的だと思うような 書き方でも気分を害することがあるのだ。

それで、ある事柄に関して最も悪く言える点がその論調だというのなら、 たいしたことは言えてないということだ。書き方が軽薄だけど正確?  重々しくて間違っているよりいいじゃないか。 それに、「どこかが」不正確なのであれば、「どこが」不正確なのかを言うことだ。

DH3. 単純否定

この段階でやっと、書き方や書く人ではなく、書いてある内容への反応になる。 主張に対する最低の反応は、ほとんど (あるいはまったく) 根拠を出さず、 単純に逆のことを述べるというものだ。

これは DH2 と組み合わせてあることが多い。こんなふうに:

この人がこれほど尊大な調子で ID (知的設計) 説を退けるなんて信じられません。 ID 説は正当な科学理論なんです。

単純否定にも、たまには意味がある。逆のケースを明示してあるだけで 正しさがわかることもあるのだ。しかしふつうは論拠があったほうがいいだろう。

DH4. 抗論

レベル 4 では、初めて説得力ある反論に到達することになる。これを抗論と呼ぼう。 ここまでの反論はたいてい何も論証しないものとして無視できるが、 抗論は何事かを証明するかもしれない。問題は、何を証明するかがわかりにくいということだ。

抗論は、単純否定に論理・論拠を加えたものであり、 もとの主張にまっすぐ向かっていけば説得力を持ちうる。 しかし残念ながら、微妙にズレたところへ向かうことが多いのだ。 だいたい、感情的に言い争っている二人の話題が実はぜんぜん違っていた なんていうのはよくあることだ。 ケンカに熱中するあまり、お互い賛成しているのに気づかないことさえある。

筆者の論点からズレたところを論じるのが正しい場合もある。相手が 問題のキモをとらえていないと感じるようなときだ。 しかしそれなら、ズレたところを突くぞ、とハッキリ言うべきである。

_ (3) - 20080331 追記

DH5. 論破

最も説得力のある反論形態は論破である。これは最も大仕事なので、最も珍しい形態でもある。 事実、反論ヒエラルキーはピラミッド状で、上に行くほど数が少なくなる。

誰かを論破するには、その言葉を引用する必要があるだろう。 反論対象の「クサいところ」、誤りだと感じる一文を見つけて、 そこが誤りだという理由を説明する必要があるのだ。 反論するための具体的な文を見つけられないなら、幻影と戦っているのかもしれない。

論破が一般的に引用を伴うとはいえ、引用がすなわち論破を意味するとは限らない。 正当な論破に見せかけるため文章を引用しておきながら、DH3 や、 最悪 DH0 のような低級の反応しかしない書き手もいる。

DH6. 主眼論破

論破の破壊力は、何を論破するかにかかっている。 最強の反論は、主眼点を論破することである。

DH5 ほどの高みにあってもなお、わざと不誠実なことをする人がいる。 主張の些細な点を取り出して論破するような場合だ。 その裏にある精神からすると、論破というよりも「洗練された人身攻撃」と呼んだほうがいいこともある。 たとえば文法を直したり人名や数字の細かな誤りをくどくど言ったり。 相手の主張がそうした点へ本当に依存しているのでない限り、そんな添削には相手の評判を落とす役割しかない。

真の意味で論破するには、主眼点 (の少なくとも一部) を論破することが求められる。 それはつまり、どこが主眼であるかを明確に示す必要があるということだ。 よって、真に効果的な論破はこのようなかたちになる。

この人の要点は x ということのようだ。彼はこう述べている。

<引用>

しかしこれは以下の理由で間違いだ。

ただし、誤りとして引用する部分は、必ずしも要点そのものでなくてもいい。 要点が依拠している部分を論破すれば十分だ。

分類の意味するところ

ここまでで反論形態を分類する方法が手に入ったが、これは何の役に立つのだろうか。 まず、反論ヒエラルキーが「してくれない」ことがひとつある。 それは勝敗判定だ。DH レベルは単に陳述の方式を表すだけであり、正誤を意味しない。 DH6 の反応でさえ、まったく的外れということがありうるのだ。

DH レベルは「最低限この程度の説得力がある」という保証ではないものの、 「最高でもこの程度しかない」という限界は定める。 DH6 の反応が説得力ゼロだったりするかもしれないが、DH2 以下は「常に」ゼロなのだ。

いちばん明白な利点は、この分類が読みものを評価する助けになることである。 特に、知的不誠実*1な論議を見抜く上で助けになるだろう。 話上手な人は力強い言葉づかいによって、相手を打ち負かしたように見せることができるものだ。 事実、それこそがデマを特徴づける性質なのだろう。 反論の形態ごとに名前をつけることは、そうしたデマ風船に刺す針を批評眼ある読み手に与える。

また、こうしたラベルは書き手の助けにもなりうる。 知的不誠実のほとんどは故意によるものではない。 何かの論調に反論している人も、自分が意味のあることを言っている と信じているかもしれないのだ。しかしちょっと離れたところから 反論ヒエラルキーにおける自分の現在位置を見てみれば、 抗論や論破まで登ろうという気にさせられるかもしれない。

ただし、うまく反論することの最大の益は、会話の質を向上させるだけのことではなく、 その技術を持つ人たちを幸福にすることにある。 会話の実例を研究すると、DH1 には意地の悪さが DH6 よりずっと多いとわかる。 しかしほんとうに大事な論点があるとき、人は意地悪にならなくてもいいはずだ。 というより、なりたくないはずである。語るべき真理があるとき、意地の悪さなど邪魔なだけだ。

もし反論ヒエラルキーを登ることでみんなの意地悪さが減るなら、 その人たちの幸せが増えることになるだろう。 ほとんどの人は意地悪ライフをエンジョイしているわけではなく、 仕方なく意地悪なだけなのだ。

謝辞: Trevor Blackwell と Jessica Livingston がこの草稿を読んでくれたことに感謝。

コメントをどうぞ(英語)。

*1 訳注: http://en.wikipedia.org/wiki/Intellectual_dishonesty 参照のこと。

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_ lionfan (2008-04-01 (Tue) 03:38)

お疲れ様です!! 楽しみました。

_ tamo (2008-04-01 (Tue) 10:46)

ありがとうございます。mean の洒落とか、訳出できてないところもあるので、可能なら原文もご覧になることをおすすめします。


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