2008-05-08 (Thu) [長年日記]

_ 眠り姫問題

問題がわかれば答えがわかるタイプの問題か?

姫への質問の具体的な文面を知りたい。特にコインについての条件付け。

もし問題 2 が、「表になる確率 1/2、裏 1/2 であるコインを投げました。(中略) さて、コインが表だった確率はいくら?」なのだとすれば、姫は質問者の視点を強制され、答えは 1/2 だろう。

「あなたが目覚めるには 3 通り (A, B1, B2) の方法があります。それらを区別する方法が、あなたにはありません。さて今回の目覚めが A だった確率はいくら?」なら 1/3 としか答えられない。

というわけで、国語の問題じゃないかと思った。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
_ スターダスト (2008-05-09 (Fri) 14:34)

いつもお世話になっております。(^^) <br> <br>>「あなたが目覚めるには 3 通り (A, B1, B2) の方法があります。それらを区別する方法が、あなたにはありません。さて今回の目覚めが A だった確率はいくら?」 <br> <br>1/2派など、一部の派では、上記問題文と理解してさえも、問2に対して 1/2 という解を支持するようです。 ひとつの理由としてあげられるのが、問1から問2にかけて、眠り姫がおかれている状況に関しての情報が一切変更されていないのだから、確率のベイズ改定が不要であるはずだ、したがって、問1と問2の答えの確率は等しくなければならない、というものです。 <br> <br>「フェアなコインを投げる」ことが結果として「表になる確率 1/2、裏 1/2 であるコインを投げました。」になるであろうことは、すべての派の人が当然と考えます。それではなぜ、最初から問題文で「表になる確率 1/2、裏 1/2 であるコイン」という表現をしないのか。 ひとつには、答えを出す前に論点の先取りになってしまっている、ということ。もうひとつには、実際にコインを投げたら微妙に表と裏が出る確率が異なるだろう?という妙に客観的過ぎる枝が出てくることを封殺しているのだと思っていいでしょう。つまり、「フェアなコイン」でもって、私たちは、「表になる確率 1/2、裏 1/2 であるコイン」という主観的な確率を期待してよいということになります。 主観的確率ですよね。 wikipediaなどで、無差別の原理という項目をごらんになっていただけるとうれしいのですが、眠り姫問題は、実は、主観的確率判断をしてくださってもかまいませんよ?という選択肢を、考える人に許しているのですね。 <br> <br>

_ tamo (2008-05-10 (Sat) 20:38)

うーむ、やっぱりよくわかりませんが、するとこの問題は <br>「【確率】という言葉にいろんな意味があるよ」 <br>という問題提起なんでしょうね。 <br>だから「唯一の正解」はそもそも存在しないというか。 <br>wikipediaの「主観確率」を見て、そういうふうに思いました。 <br>やはり言葉の問題だ、と。 <br> <br>>>「あなたが目覚めるには 3 通り (A, B1, B2) の方法があります。それらを区別する方法が、あなたにはありません。さて今回の目覚めが A だった確率はいくら?」 <br>> <br>>1/2派など、一部の派では、上記問題文と理解してさえも、問2に対して 1/2 という解を支持するようです。 <br> <br>これはつまり、問題を <br>「表になる確率 1/2、裏 1/2 であるコインを投げました。(中略) さて、コインが表だった確率はいくら?」 <br>と理解しているからだと思います。(ベイズ改定とかよくわかりませんが。) <br> <br>で、コインのことを知らない場合には <br>「無差別の原理」で1/3にするか、 <br>「そういう場合に確率という言葉は使えない」 <br>と答えるしかないわけですから、 <br>やはり「確率」という言葉と、 <br>コインの情報を無視する理由がキモなのかなぁ、と思います。 <br> <br>あんまり面白くないような気が……。 <br>

_ スターダスト (2008-05-11 (Sun) 16:13)

どうもです! <br> <br>>「あなたが目覚めるには 3 通り (A, B1, B2) の方法があります。それらを区別する方法が、あなたにはありません。 <br> <br>1/2派の人は、Aの確率は1/2, (B1の確率+B2の確率)は1/2, であると【いうことが】無差別の原理を使った結果導かれると考えるようです。 <br> <br>どうしてそう感じるのかについて、かつて1/2派であるのに、今はもはや1/3派の私としては、上手にいえません。(w <br> <br>その頃の気分に戻ってちょっと後でヒネリ出したいと思っています。 <br> <br>

_ tamo (2008-05-16 (Fri) 16:50)

森の射手問題 ( http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20080516 ) は題意がわかりやすいですね。なるほどそういうことですか。 <br>「確率は?」じゃなくて「どちらか答えよ」なのは意地悪ですが、「確率は?」だとすると (1) 1/2, 1/2 と (2) 1/101, 100/101 ……なのかなぁ。 <br> <br>(1) で「自分が当たったこと」による変動があるかどうかは問題文によるわけで、 <br>神の視点から確率 1/2 とわかっていても、 <br>どちらかを答えるとなれば当たった人間の視点を混ぜたくなります。(それしか情報がないし) <br> <br>(2) は当たった人間視点なので、(x/5)+(x/500)=1→101x/500=1→x=500/101→確率は1/101と100/101。 <br>あれ? でも「神よ、矢の当たった 2 人を連れて参りました」「ありゃりゃ、混ぜてしまったか。これではどっちがどっちの森から来たかわからんな。さて人間よ、お前はどちらの森から連れて来られたと思う?」だったら神の視点もあり得て、この場合 1/2, 1/2 か。 <br> <br>おお、(1) と (2) が同じ問題のように思えてきた~。面白い。やっと面白さがわかってきました。 <br>(でも言葉の問題だということには変わりないのですが。) <br> <br>

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